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はじめに―間違えるのが人間,それを隠すのもまた人間
医療安全管理の出発点は,「To err is human」である。アメリカ医学研究機構による医療事故防止のための報告書(1999年)のタイトルであるが,18世紀イギリスの詩人ポープの一文,「To err is human, to forgive divine(過ちは人の常,許すのは神の業)」から引用されている。
エラーを犯すことは,神ならぬ人間の宿命である。医療において,ミスは必ず起こることを前提にして対策を立案せよ。小さなミスをまめに報告し手当てすることによって,致命的なミスを防止せよ。これが,前記報告書の基本的スタンスである。
医療分野に限らず,大きな事故や事件のあとで責任者からしばしば表明される「あってはならないこと」という常套句は,この基本スタンスへの無理解を自ら認めるに等しい。人間のやることに「あってはならないこと」などは「あり得ない」のである。
医療安全管理にとって大切なもうひとつの前提は,犯したミスを隠そうとする人間の習性であると筆者は思う。ミスを犯した人間は,とっさにそれを隠そうとする。ベテランの専門家ほど,初歩的なミスを「なかったこと」にしたがる。精神分析でいうdenialもしくはundoingの防衛機制である。もう少し手の込んだ防衛機制に合理化(rationalization)がある。明らかなミスを別の要因に責任転嫁し,それが叶わなければ不可抗力と弁明する。
これらの自己防御的行動は,しかし,事故の加害者という窮地に立たされた人間の自然な反応である。モラルの低さに由来する例外的行動ではない。
人間はミスを犯し,なおかつ,それを隠し,合理化するのが「普通」である。ミスの隠蔽や合理化までも神が許してくれるかどうかはわからないが,こうした人間の習性を前提にしない医療安全管理の議論は,実効性に乏しい儀式にすぎない。
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