巻頭言
今日思うこと
梶原 長雄
1
1日本大学医学部第2内科
pp.587
発行日 1988年6月15日
Published Date 1988/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404205266
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ヒトの死の判定が今日ほど問題視されたことはかつてなかった。心臓と呼吸の機能が停止し,瞳孔が散大して対光反射が消失した時点で,臨床家は死亡を宣告していた。人工呼吸器を装着したり,人工ペースメーカの挿入などの救命医療の発達により,この古典的な死の判定が難しくなってきた。更に,バーナード博士が心臓移植を行って以来,新しく「脳死」の問題が提起された。心筋症,高度に進行した三枝病変でA-Cバイパスも不可能で左室駆出率20%以下と重篤な心不全状態に陥った冠状動脈疾患や外科手術により修復不可能な先天性心肺疾患など,心臓の機能が著しく障害され内科的な薬物療法も単なる対症療法にすぎず,他の保存的な療法も何の効果が得られず,ただ患者の死の到来を手を拱いて見ているだけという,主治医として何ともやり切れない無力感におそわれた症例を,臨床家ならば誰でも1度や2度は経験しているはずである。今回の日本医師会の生命倫理懇談会(座長 加藤一郎 成城学園長)が「脳死を個体死と認め,生前に本人が認めていたり家族の承諾があれば,脳死の毅階で移植用の臓器を摘出してもよい。」という最終報告書を日本医師会長へ答申した(昭和63年1月12日)ことは,心臓のみならず,その他の臓器移植を研究している者には、臨床の場への応用の道が開かれたとみてよいと思う。確かに世界の心臓移植症例は2000例を遙かに上まわり,5年生存率も50〜60%と比較的良好な成績を得ている。
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