研究会紹介
呉消化器病研究会
木村 規矩志
pp.1609
発行日 1969年12月25日
Published Date 1969/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403110871
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呉の夜景は,丁度港神戸を思わせる瀬戸内の静かな入江の深い街である.戦時中は.戦艦大和(6万8千チン)を筆頭に数々の艦船が建造され,東洋一の軍港として栄えたものであった.現在の造船界では,20万トン級のタンカー船を,造り世界のトップクラスを行く平和産業都市に生まれ変った.当地は,広島県の文化の中心地である広島と最も地理的条件が接近しているので,広島大学に恩恵を蒙ることが多い.
昭和36年には,浦城教授を会長とする広島消化器病同好会が発足した.その例会,あるいは幅広い研究発表会には何時も全国から有名な諸先生の御来広を仰いで,特別講演が開かれたものであった.当時呉市においても同好の士の熱意も並々ならぬものがあって絶えず広島での講演を拝聴し,唯々感銘にひたったものであった.したがって,消化器疾患に関する興味を持った開業医の先生は,次第に増加の傾向を辿っていた.昭和38年,広大医学部浦城内科教室,抽木助教授の助言で,呉にも消化器疾患に関する組織的な研究会を持ったらどうかと言うことの助言があり,機を得たりと同年暮れ,私と中国労災病院,岩越仙三先生,国立呉病院,桐本孝次先生,小笠原病院,小笠原康隆先生らが発起人となって,呉の総合病院及び開業医の諸先生の協力のもとに第1回の例会を開催した.当時は,胃疾患に関するいろいろの症例を気軽に話し合えると言うことで,会の運営は会員がもち廻りで,隔月1回幹事をつとめることにした.時には,地元専門家の講演会を開催し,それによってわれわれは啓発され,また刺激を受けることにした.月例会の出席者は35名前後で和気あいあいのうちに,夜のふけるのを忘れることもしばしばであった.
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