一冊の本
「シッダールタ」—(ヘルマン・ヘッセ/高橋 健二訳,新潮文庫,1962)
岩渕 勉
1
1国立横須賀病院
pp.155
発行日 1986年1月10日
Published Date 1986/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402220197
- 有料閲覧
- 文献概要
私は,17歳の齢に腸チフスに続いて滲出性肋膜炎を患い,処々の関節がやたらに大きく,首は長くガリガリに痩せ細って暗黒の青春を味わった.肋膜炎の5人の内4人までが肺結核に発展するから5年間は用心しなければいけない,急いで学校へ行けば来年の命は保障しかねるとまで言われ,当時,両親はさぞ気に病んだことであろうと,自ら好んでなったわけではないが大変な親不幸をかけたものと忘れられぬ思いである.悶々として"死"を現実のものとして悩みもした.しかし根が余り突詰める質ではなかったおかげで,孔子が「未だ生を知らず,いづくんぞ死を知らんや」との言葉を知るに及んで,いとも容易く生きつづける努力をすることで悩みを解消してしまった.第一志望の高校受験も見事失敗,日本医大の予科には合格して多摩川の新丸子にあった校舎を見て環境の良いのに安心して,保養をかねて近くに下宿し,ボツボツ登校を始めたが,風邪をひきやすく2〜3年はあわれな学生生活を送った.当時の医学部はドイツ語全盛時代で,その学習が進むにつれ,ゲーテとか,ヘルマン・ヘッセだのハンス・カロッサだの文学に親しむようになったのは一般的なりゆきであった.
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.