私の本棚
被爆後28年間をふりかえる—原爆開発グループ「マンハッタン計画」を読んで
秋月 辰一郎
1
1聖フランシスコ病院
pp.1355
発行日 1973年10月10日
Published Date 1973/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402204945
- 有料閲覧
- 文献概要
この頃は医学専門書はほとんど読まないのでこの投稿の資格はないと思うてはみたものの,日頃考えていることを書いてみた.
私は昭和20年8月,長崎原爆を現在も働いている病院で受けた.その病院は爆心1.4キロメートル,半ば崩壊全焼した焼跡や壕舎やバラックで,原爆被爆の重症者に極めてお粗末な治療をした.廃墟の原子野で独りの医者としてしみじみと考えたことは,悲しくも口惜しかったが勝者アメリカの科学の高度と壮大さ,敗れた日本の科学の惨めさであった.
Copyright © 1973, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.