随想
近代衛生学の開祖Max von Pettenkofer(1818-1901)への日本人門下生からの手紙
北 博正
1
1東医歯大・衛生学
pp.2156
発行日 1972年11月10日
Published Date 1972/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402204498
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鷗外の独逸日記の明治19年(1886)3月8日の項に"ペッテンコーフェル余を其作業室に延く.廣面大耳の白頭翁なり,幣衣を纏ひて書籍を堆積したる机の畔に座す.余ロオトの翰を呈し,来由を陳ず.ペッテンコーフェルの曰く,緒方正規久く余が許にあり.余これを愛すること甚し.子も亦正規の如くならんことを望む"とあり,ここで衛生学を学び,帰国後も"別天師"に傾倒し,師がコレラ生菌を飲んだ自家実験を紹介したり,孫に師に因んで真章と命名したりした上,ドイツ語に堪能でしかも筆まめであった彼が,たびたび師に便りしたであろうことは想像に難くない.
Pettenkofer関係の手紙が,Munchen爆撃の際にも大部分助かったということをきいていたので,昨1971年この地の国際生理学会に出席の際,Bayern国立図書館の手書き文書および古文書部門で探したところ,緒方正規関係13通,中浜東一郎関係10通を発見したが,鷗外のものはなくがっかりした(あるいは未整理なのかも知れない).ところが緒方のファイルから面白いものをみつけたので紹介する,即ち1892年(明治25年),Pettenkoferが学位を受けて50年の祝辞で,門下4名の連名である(右写真).
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