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子どもの頃は理科少年—早稲田大学診療所長 原素行氏に聞く
長谷川 泉
pp.80-81
発行日 1965年1月10日
Published Date 1965/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200653
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エンジニヤになつていたかも……
長谷川 ドクターこなる決意をされたのは,いつごろでしようか。
原 わたしの家は,医者はわたしで9代目なんですがどういうわけか,わたしは理科少年だつたんです。大学では機械へ入ろうと思いおやじも仕方がないと思つていたようです。医者は,いやなことが多いので息子がそう思うのもむりはなかろう。よし機械へ行つてもよろしいということだつたんです。が,その話をわたしの中学校の校長にしたんです。そうしたら校長が心配しまして,5年生の3学期になつて「おまえ,工科へ入るといつてるそうだが,医者になつてはくれないか。開業するのがいやなら,バイキンを扱う先生でもいいじやないか」と毎週校長に泣きつかれました。泣きつくというのは変ですが,校長としては,訓戒のつもりであつたんでしよう。それでとうとう医科へ行つたんです。
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