連載 疾病対策の構造
安住できない日本のごみ—廃棄物を組み込んだ居住・生活環境・経済へ
小林 康彦
1
1(財)日本環境衛生センター
pp.131-135
発行日 1995年2月15日
Published Date 1995/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401901206
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1.ごみは生活の反映
人間が生活していく以上,その人や家族にとって不用になるものが必ず発生する.その人に不用でも,別の人が必要とするものであり,両者を繋げる道筋があれば,ごみにはならない.そうした,受け手を見出だせないものは「廃棄物」である.
この廃棄物も時代によって大きく変わってきた.例えば,電車の網棚に雑誌が残されていたら,忘れ物として扱われたのは,そう昔の話ではない.ごみかごみでないかは,客観的に識別がつくという時代が長く続いていた.それだけに,「もったいない」という感覚で,ごみ問題を考える方が少なくない.しかし,昭和40年代の後半頃から,個人的な「もったいない」,「ものを大切に」という常識が通用しなくなってきた.外見上,まだ役に立ちそうなものでも廃棄物として出されるようになり,外見だけでは廃棄物か,そうでないか,判別ができなくなってしまった.そこで,ごみであるかないかの判別を所有の意思があるかないか,所有の意思のない場合,それを買い取る人がいるかどうか,を判断の基準に採用したのが昭和52(1977)年,17年前である.個人の感覚ではなく,経済の原則でごみを扱い始めたといえる.そこで,今回は量とコストを中心に考えてみたい.
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