連載 ヒトとモノからみる公衆衛生史・1【新連載】
マスク大国となった日本・1—なぜ専門家はマスクを勧めなかったのか—明治のマスクブームと『衛生寿護禄』
住田 朋久
1,2
1慶應義塾大学大学院社会学研究科
2国際日本文化研究センター
pp.572-576
発行日 2023年6月15日
Published Date 2023/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401210070
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はじめに
2020年、新型コロナウイルス感染症が流行し始めると、政府や専門家は人々に行動変容を訴えた。しかし、人々はただそれに従ったわけではない。例えばマスクは当初、風邪症状のある人が着けるものとされ、感染予防のためのマスク着用は勧められていなかったにもかかわらず、多くの人々がマスクを着け始めた1)。そしてマスクの流通が不足する中で、全国マスク工業会や厚生労働省などは、マスクは「風邪や感染症の疑いがある人たちに使ってもらう」ことを呼びかけるに至った2)3)。
このように、政府や専門家の方針と人々の行動に差異が生じることは、筆者らがコロナ禍で経験してきたことだが、同じことは公衆衛生の歴史にも見いだすことができる。中でもマスクは、明治時代から政府や専門家が推奨する以上に日本の人々の間で用いられることが多かった。日本のマスクは、「庶民の衛生」、あるいは、まさに「公衆の衛生」を表すものだろう。
明治の文明開化の中、1879(明治12)年ごろからマスクが流行した。ただし、「マスク」の語が一般的になるのはインフルエンザが大流行した1920年ごろである。明治に流行したこのマスクは、1836年に英国の医師ジュリアス・ジェフリーズが発明した呼吸器(respirator)に由来し、レスピラートルや呼吸器などと呼ばれていた4)〜6)。
この明治のマスクブームに対して、主流の専門家はむしろ否定的だった。それではマスクは、明治の日本にどのように定着していったのだろうか。
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