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はじめに
前号では,①平時に実施される「リスクコミュニケーション」と緊急時に実施される「クライシス・緊急事態リスクコミュニケーション(Crisis and Emergency Risk Communication:CERC(サーク))」とでは,同じ「リスクコミュニケーション」という言葉が使われていても異なること,②CERCは,米国疾病予防管理センター(CDC)が開発した概念であり,危機により刻々と変化する時系列の状況に応じたコミュニケーション戦略を示した理論であること,について説明した.
わが国のCOVID-19対応を見ると,リスクの高い場所やリスク軽減行動についての説明をはじめ,専門家による長時間にわたる会見やSNS等を通したリスクコミュニケーションがとられていた.
他方で,危機下における専門家の位置付けや情報発信体制が不明確ななかで情報提供がなされていたため,専門家による情報発信が政府としての発信と捉えられたり,専門家が政策の決定をしているように捉えられたりしてしまった.また,科学的助言を入手し活用する際の指針や行動規範等も不明確で,政府と専門家の意見の相違が起きた際に科学の中立性や独立性を保持するための「科学の健全性(scientific integrity)」の確保が難しくなり,国としてのCOVID-19対策の全体像や根拠,先を見通すためのガイダンスを人々に矛盾を感じさせないような一貫性のある形で示すことができない,等の課題も生じた.こうしたことにより,情報提供はなされていたのに,国民の不満や不信感が高まるということが起きた.これらは,リスクコミュニケーションの問題というよりも,CERCの情報発信体制の問題である.
そして,これは初動期に限らず,本稿を執筆している2020年11月20日(11月の三連休前)も,依然同様の問題に悩まされている.COVID-19の急激な感染の再拡大が見られるなか,国は人の移動を推進する「Go Toキャンペーン」を推進し,感染が拡大している自治体は「移動の自粛」を求め,日本医師会は「我慢の三連休」を求め,分科会は「Go Toキャンペーン事業の運用の見直し」を求めるという,人々に矛盾を感じさせかねない「一貫性のないメッセージ」が発信されていた.コロナ対応者が立場によりバラバラな,方向性の異なるメッセージを発信していたため,「感染者数が増えているのは検査体制が充実したからではなかったのか?」,「Go Toキャンペーンが感染拡大の主要な要因であるとのエビデンスは存在しないと言っていたはずなのに,なぜ我慢や自粛をしないといけないのか?」,「感染者数が増えている現状をどう捉え,どんな行動をとったらいいのか?」等が分かりづらく,さらに誰の発言に従ったらよいか分からないなかで,国民一人一人に行動の判断を委ねていた.わが国で,「コロナ感染は自業自得」と答えた人の割合が,他国と比べ高かったという調査結果が話題となったが1),それはこうした情報発信のされ方も影響しているのかもしれない.
では,危機下において「どのように政策の決定がなされ,誰が責任を持って対応しているのか」といった透明性や,人々に矛盾を感じさせないように一貫性を持たせて情報発信するために,どのような体制を構築すればよいのだろうか?
今月号では,CERC理論の開発国である米国と,理論を自国の状況に合わせた形で応用し,国民の理解と協力を得て感染抑制に成功し,本稿執筆時点でCOVID-19による死亡率が最も低いシンガポールの情報発信体制について紹介しよう.
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