シンガポール便り・1
シンガポール発展の父ラフルズ
橋本 正己
pp.28-29
発行日 1971年1月15日
Published Date 1971/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204191
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"60年前の7月のある輝いた朝,私は鉄棚をめぐらせたいかめしい門の前に立っていた.赤いターバンを巻いた守衛が何やら大声でどなると,門はおもむろに開かれた.この古めかしい建物は,女の精神病院(Female Lunatic Asylum)であり,植民地政府が僅かの費用で医学校に転用したものである.窓には鉄格子,また建物をとりまく白壁の塀のうえには多くの先の尖った鉄片が患者の逃亡に備えていた.一歩ふみこんだ私の第一印象は,これは学問をする場所ではなく,監獄だということであった………."
1905年7月3日,シンガポールにおいて最初の医学教育が23人の若者に対して始められた日の思い出をそのひとりであったDr.Chen Su Lanは大学の創立60周年記念日にこのように回顧している.1962年にシンガポール大学医学部となるまで,この医学校が辿った道は,シンガポールそのものの激しい移りかわりのなかで誠に曲折多難の歳月であった.
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