公衆衛生人国記
福井県—福井県における公衆衛生の先駆者,笠原白翁
大井田 隆
1,2
Takashi OHIDA
1,2
1元福井県厚生部保健予防課
2現厚生省健康政策局計画課
pp.501-503
発行日 1988年7月15日
Published Date 1988/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207738
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福井県に赴任(昭和60年4月)した直後に大野城(福井県大野市)へ出かけるチャンスを得た.その城内に並べられた資料は,幕末の大野藩の偉大さを想像させるものであった.わずか4万石の小藩が蘭学の学校を開き,大坂より適塾の塾長伊藤慎蔵を,大野のような雪深い山中に招いたのであった.当時の有名なインテリ,伊藤慎蔵を招くことができた大野藩も偉大であるが,伊藤自身の決心にも驚くものがある.これにより全国各地から大野に俊才たちが集まり,蘭学が大いに栄え,それは幕末の奇跡であったと考えられる.
このように幕末の福井は,大野藩だけでなく福井藩も含めて,日本の医学史上大きな刺激を与えたのである.その中で特に公衆衛生上の先駆者を考えるなら,越前福井の医師笠原白翁を挙げることができると思う.白翁は幕末,種痘を広めるのに貢献した代表的な人である.白翁は種痘を広めるに当たり,藩主松平春獄に嘆願書を提出したりして多くの努力を重ねた後,佐賀藩で成功した種痘の同苗を福井にもたらすことができた.これによって福井ばかりでなく,多くの地域の多くの人命が救われたのである.今でこそ天然痘は地球上から無くなってしまったが,当時は最大の伝染病であった.致死率が高く,治ゆしてもみにくい「あばた」を残したのである.
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