随想
ペッテンコーフェルの墓碑
松下 敏夫
1
1鹿児島大学医学部衛生学教室
pp.383
発行日 1984年5月15日
Published Date 1984/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206871
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いやしくも衛生学・公衆衛生学を学んだ者で,ミュンヘン大学に初の衛生学講座を開設し,実験衛生学の始祖とされているペッテンコーフェル(Max von Pettenkofer)の名前を知らぬ人はあるまい.また,今日までミュンヘンを訪れた人は,多分マクシミリアン・プラッツにある彼の大理石の座像や,ペッテンコーフェル通りにあるペッテンコーフェル研究所のことを見聞したに違いない.しかし,ペッテンコーフェルがミュンヘンの中央駅近くにある南墓地に葬られていることを知っていて,これを弔いに実際に訪れた日本人は少ないと思う.私は,野村茂教授のお勧めもあって,最近訪れる機会があったので,将来墓参をする人の参考のために,ここにペッテンコーフェルの墓碑について記しておきたい.
ペッテンコーフェルの墓については,戦前*鹿児島大学医学部衛生学教室教授西川義方博士が訪れ,その様子が "碩学ペッテンコーフェルの墓を弔ふ"(「横と縦」152頁)の文として残されている.だが,この頃の墓石は戦後新しいものに替えられて,現在に到っている.現在の墓石は,西川博士が記した "Südliche Friendhof. Sektion 31. Reihe 1. Grab No. 34." と同じ場所にあると思うが,その道標は,南墓地31区画の中で隣接している27区画に一番近い場所,道路から向かって右端角地(北東角地)にあると覚えておいた方が分りやすい.
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