海外事情
ペッテンコーフェルの故郷リヒテンハイムを訪問して
華表 宏有
1
1産業医科大学
pp.510-512
発行日 2008年6月15日
Published Date 2008/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101350
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マックス・フォン・ペッテンコーフェル(1818-1901)の名前は,「衛生学公衆衛生学」の教科書の歴史の項目に登場することがあるので,記憶に留めておられる読者も多いことだろう.ミュンヘン大学医学部の医化学準教授,のちに教授として,当時大流行したコレラ対策に精力的に取り組んだ他,代謝測定装置を考案したりした.その実績が評価されて,1865年(47歳),世界で最初の衛生学講座が創設され,その教授に就任した.わが国から緒方正規(東京大学医学部衛生学講座の初代教授)の他,森林太郎(陸軍軍医)などが,彼のもとに留学している.森1)は帰国してから,『東京医事新誌』(明治22年)に,師の略歴を執筆している.
筆者が,ペッテンコーフェルの生涯と業績を多少とも具体的に知ったのは,日本衛生学会での北博正の会長講演2)のときであった.初めてミュンヘンを訪れたのは1981年で,そのとき旧南墓地33区に眠っている彼の墓所に足を運び,ペッテンコーフェル通り9a番地にある,戦後再建されたペッテンコーフェル研究所の前庭に建っているヒュゲイア像を訪ねた.
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