連載 公衆衛生の道・7
渋谷保健所(続)
山下 章
1
1東京医科大学衛生学公衆衛生学教室
pp.738-742
発行日 1975年10月15日
Published Date 1975/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205096
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
結核患者管理の研究
結核患者管理の研究は,結核予防会の御園生先生を班長にして,重松(国立公衆衛生院),小宮山(川崎市高津保健所),白戸(神奈川県松田保健所),春日(埼玉県所沢保健所),田部(千葉県中央保健所),高島(愛知県衛生部),三沢(新潟県巻保健所),井田(大阪府池田保健所),内田(国立公衆衛生院),島尾(結核予防会),松谷(結核予防会)というメンバーで,その中に都市保健所代表として私も加えられたのである.なお翌33年後半からは,以上の他に清水(東京都王子保健所),肥田(静岡県三ケ日保健所),上田(山口県防府保健所),丸山(岡山県瀬戸保健所)の諸氏も加わった.
前所長は白衣を着てクリニックにも出てくれたのに,山下所長は全然医者らしい仕事をしないばかりか,結核患者管理の研究なんて余分な仕事を持ちこんできて,ただでさえ忙しすぎるくらいの渋谷保健所なのに……と,最初のうちは職員の白い目がはねかえってきた.しかし,あれこれと作業をやってもらっている間にみんなの考え方が変わってきた.その筆頭が正岡さんであった.最初は白眼視の旗頭であった彼女がいつしか私にハッパをかけるようになった.そして結核患者管理の最もすぐれた実践者となり,今も東京都の結核課長をやっている.彼女以外にもすぐれた保健婦さんや事務職員が数多く揃っていた.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.