人にみる公衆衛生の歴史・17
太田典礼(武夫、1900〜)—産児調節運動と避妊技術
川上 武
1
,
上林 茂暢
1
1杉並組合病院内科
pp.604-605
発行日 1972年9月15日
Published Date 1972/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204548
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大正期にはいり産児調節は,一方で人口問題との結合により,他方で第1次大戦後の生活難よりくる国民の要望もつよく,重要な社会問題と化した.一部では労働運動・農民運動との結合もみられ,国民のあいだに広く浸透していった.しかし,その具体的効果となるとまるでおぼつかなかった.避妊の失敗による人工妊娠中絶が跡をたたず,避妊=堕胎という誤解もうまれるくらいであった.しかも,藩によるちがいはあっても江戸時代に盛んにおこなわれた堕胎が明治政府の人口増加政策のもとで禁止され,非合法の状況でしか行ないえないため,母体の危険もはるかに大きかった.そのなかで確実かつ安全な避妊技術をめざした医師の1人として,太田典礼(武夫)があげられる.
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