整形外科を育てた人達 第123回
William Adams(1820-1900)
天児 民和
1
1九州大学
pp.208-209
発行日 1994年2月25日
Published Date 1994/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901306
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Littleとの出会い
William Adamsは19世紀の始まりの頃にAntiseptic Operationの始まった頃に活躍した外科医である.1820年にLondonで生まれた.早くから医学の勉強を始めて,先ずSt. Thomas schoolに入学して解剖学と生理学の勉強を開始し,やがて博物館の職員になり,更に解剖学の示説教員(demonstrator)となった.
また当時,英国整形外科の開拓者であったLittleと出会い,その招きでRoyal Orthopaedic Hospitalに勤務して整形外科の道に入った,ここで,腱断裂を経験して,腱の縫合を研究し,腱鞘を軽視してはならないとの論文を発表したが,当時医学界の権威であったPagetが反対した.しかし,これに屈することなく,腱の縫合には腱鞘で縫合部を包むのが良いと考えた.その後9年間に15例の腱断裂の縫合を行い,腱鞘も維持すべきと考えたが,筋肉拘縮では筋膜を切り,矯正した.筋膜を切り矯正するのをfasciotomyと言ったが,特別に手術刀をfasciotomと命名した.関節の変形の矯正には,骨膜下の骨切術を行い,好成績で変形の矯正に成功した.Adamsは,上記のごとく筋膜の収縮による変形と機能障害には皮下で筋膜を切断して対拠した,duputytrenの拘縮の治療には,著書もある.
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