特集 秋田県の公衆衛生活動
健康意識の今昔談
児玉 栄一郎
1
1秋田県衛生科学研究所
pp.474-477
発行日 1970年8月15日
Published Date 1970/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204119
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私に与えられた題名は「秋田県民健康意識の今昔談」である.健康意識とは裏を返せば病感の有無ということになる.病感は,つまり自己の意識内に健康の違和を感じた場合であろう.私はかつてこの問題について調査をしたり研究をしたりしたことがないが,これに関連した卑近な例について述べ,併せて未来への映像を描きたいと思う.
人は老いてますます盛んになることは数少なく,一般に加齢とともに疾病の多くなることは周知の事実であり,この場合自己の健康意識がうすれていくことは間違いないことと思う.疾病で死亡しない限り人は老いていくが,「老衰死」なる診断名(A136)が堂々とWHOの統計にあることは,病感なしに死亡する場合であろうか.それとも医師は当該者に疾病を認め得ずして下した診断名であろうか.それとも老衰という診断には,壮年者ならば軽い症状であって当然死因とは認められない故に諦めたものであろうか.私はこれらのことについて,ひとつは高血圧,脳卒中を中心に,ひとつは老衰死の統計を中心にのべていき,健康感には自己ばかりでなく地域社会の無視できないことを述べて大方の批判を仰ぎたいと思う.
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