特集 これからの学校保健
論点
学校保健の発展を阻むもの
学校こそ予防医学実践の場
村江 通之
1
1鳥取大学医学部衛生学教室
pp.189-191
発行日 1968年4月15日
Published Date 1968/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203652
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こわれてから気がつく日本の民族性
今や世間には明治百年という―種の楽しいムードが流れている。大学生は大切な勉強を放棄して市街地を集団行進する。自動車は道路上にひしめきあって,走れないでよたよたとしている。物価や公共料金は日ごとにうなぎのぼりに昇る。上等なたんぼがつぎからつぎにつぶされて,美しいはりこの家が建てられていく。このように見てくるときバランスは失われて,まったく一種の社会的健康度を失いつつある状態といっても誤りではない。このような状態のとき学校保健の発展を阻むものについて記述するのも大きな意義があるように思われる。
さて,約3世紀にわたって大平のムードにひたり,進展はげしい世界状勢から自動的に目かくしさせられてきた日本民族が,わずか4隻の黒船の来訪で目が覚めてあわてふためき,ついに明治維新の開国という新時代を迎えたのであった。幸い日本民族はこの一世紀の間に,目まぐるしいほどその社会の様相や生活様式を変えてきたといってよい。ようやく欧米人に追随するところまできたと考えられるとき,一部の近視眼的な血気にはやる人たちの無批判な思いあがりで暴力をふるい,広い大平洋であばれまわってはみたものの,その結果は思わしくなく,ついに世界の他国からきらわれて,とうとう他動的にこの四つの島に閉じこめられたというのが,今日の日本民族の状態である。そうしてさらにわずか2隻の原子力船の入港で大騒ぎを演じたというのが,今回の佐世保騒ぎとみてよいであろう。このぶんならメキシコオリンピックの成績もだいたい見当がつくといってもよい!
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