特集 綜合保健と公衆衛生看護活動
海外事情
フランスの公衆衛生看護活動—その実情と考え方
岡部 宗雄
1
1東京都八王子保健所
pp.519-520
発行日 1965年9月15日
Published Date 1965/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203112
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まえがき
BCG創案者の1人であるパストゥル研究所のカルメット博士が「家庭訪問による衛生教育,予防衛生実地指導を通して,家庭経済を確立するのに必要な専門職種を制定すべきである」と彼が行った医療社会事業調査の結果,提案したのは1901年のことであった。第一次大戦間1917年にU.S.A.のロックフェラー財団がモルガン女史をリーダーとする有力な保健婦のメンバーを,戦災の最も激しかった北仏ソワソンに送りこみ,6年間資金や機材事面から強力な援助を続けた。ここにフランスの公衆衛生看護活動の歴史が拓かれたのである。しかし第二次大戦後,フランスの公衆衛生活動がWHOの「健康」観に即応し,市民生活に滲透するためには従来の米国式公衆衛生活動だけでは不十分であることに気付いたようである。かくして「1951年3月31日の法律」が公布された。この法律によって「訪問看護婦」制度は廃止され「社会助手」制度が創設され,フランスの公衆衛生看護活動はより広汎な領域に及ぶようになった。フランスには日本のような保健婦制度は現存しないのである。社会助手の資格はフランス公衆衛生人口大臣の認可した公立または公益法人立の養成機関で3年間修業したのち,国家試験により与えられる。この3年間の第1学年は看護婦,助産婦と共通であるが,第2,第3学年では心理学はじめ社会福祉事業に関する専門教育が重点的に行われる。
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