特集 住民の保健をいかに進めるか—第5回社会医学研究会・主題報告と総括討論
主題報告
討論
pp.613-614
発行日 1964年11月15日
Published Date 1964/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202921
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森田(四日市保健所) 四日市の保健所長として行政の立場から公害問題発生の経過を述べたい。私は昭和33年に四日市へ転勤してきたが,その頃は石油関係企業は6社で規模も小さく,公害に対する苦情も住民と工場の直接交渉だつた。しかし石油廃液やピツチによる身体障碍がでてきて,警察,人検擁護局,保健所あたりに訴えられるようになつたのが昭和33年の始めである。保健所では環境衛生監視とか健康診断ということだけではかたずかないということで,保健所がよびかけて警察や労基,市役所など行政機関が集まつて昭和33年の終り頃協議会を作つた。しかしこれでも解決はしないが,しかし新聞報道になつたりで,市民からの苦情が直接工場へゆかないで市役所や保健所に来るようになつたのが34年である。そこで保健所としても態度を明らかにする必要があるということで,名古屋の水野先生の教室の御援助もえて,県市に対して調査機構をつくるよう進言した。しかし当時はまだ工場誘致にもつぱらポイントが置かれており,そういう調査機構をつくるということが工場誘置を妨げることになりはせぬかという思惑から実現がむずかしかつた。しかし,そのあいだにも住民の訴えはしだいに大きくなり,市も対策委員会を設けようということになつた。この間約1年半かかつている。そうしてまず現状のはあくということで名大,三重大に依頼し,調査にとりかかつた。
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