座談会
公衆衛生院から二十年—衛生技術者の養成・訓練など
山下 章
1
,
杉原 正造
2
,
岡田 貫一
3
,
林 路彰
4
,
小池 重夫
5
,
橋本 正己
6
,
西川 滇八
7
1東京都渋谷保健所
2川崎市中原保健所
3東京都日本橋保健所
4公衆衛生院母性小児衛生部
5労働衛生研究所環境衛生部
6公衆衛生院衛生行政学部
7日大公衆衛生学
pp.288-297
発行日 1961年5月15日
Published Date 1961/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202406
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編集部 お伺いいたしますと,公衆衛生院で養成訓練事業が始まつてから20年を越すといいますが,公衆衛生院発足の頃からの回顧と,そこから出てくる問題が,今後の公衆衛生のあり方にどういうふうに反映してくるだろうかという将来の展望まで含めてお話しいただけたらと思います。
岡田 今日は予定しておりました埼玉の山下,千葉の北原両課長が,共に県議会の関係で出席できません。非常に残念ですが,時間がまいりましたので始めさせていただきます。早いもので,公衆衛生院で日本の公衆衛生に従事する正規の技術者の養成訓練事業を開始し,1年の教育課程を終わつて社会に送り出してから,今年で21年になります。今日お集りの先生は,第1回と第2回の卒業生で,いわば公衆衛生畑の20年選手という卒業後ひきつづき公衆衛生に打ち込んできた人ばかりなんですが,そこでいろいろ編集長のおつしやつたような点について語り合つて,今後の公衆衛生にいく分でも寄与できたら幸せじやないかと思うのです。それで,調べてみますと公衆衛生院が第1回の養成を始めたのは昭和14年でそのときにきた学生が25人いるのです。第2回目が17人なんです。教育機関が1年だつたのは,戦前では2回までで,3回,4回,5回というのは4月から始まつて12月で終わるとか,1月から9月で終わるとか,1年のコースを踏んではいないわけなんです。それでも戦前5回でもつて66人の衛生技術官を出しているわけです。
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