綜説
日本における放射性降下物の現状
大田 正次
1
1気象庁 測候課
pp.471-477
発行日 1959年8月15日
Published Date 1959/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202171
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I.まえがき
1954年3月にビキニで強力な水爆の実験が行なわれ付近を航行中の福竜丸が放射性降下物により被災したが,5月にはビキニから遠く離れた日本の各地で放射能雨が見出されている。当時京都では雨水1リツトル中に8万カウントの放射能が見出されたと新聞に出たため,京都行の旅行を止めた方がよいかどうかという問合せがあつたりした程であつた。雨水の中に天然の放射能が含まれていることは前からわかつていたが人工的な放射能が含まれるなどということは夢想だにされなかつたのであつた。そこえ1リツトル当り数万カウントというようなちやんと測定にかかる程度の人工放射能が現われたのであるからやはり一大事であつたわけである。当時日本学術会議の放射能影響調査特別委員会は今後の事態をも考え日本の各地で人工放射能の常時観測を行なうことを勧告し,以来測定の方法にはいろいろ改良が加えられたが今日まで放射能の常時測定が引き続いて行なわれて来た。
一方原水爆の実験の経過を見ると1954年3月のビキニに於ける水爆実験を契機としてアメリカは毎年ネバタまたはビキニ付近で実験を行なうようになり,その規模も年々増大した。またソ連は1955年秋にシベリヤ地区で水爆の実験を開始して以来加速的に実験回数を増加させた。更にイギリスも1957年以降クリスマス島で水爆の実験を開始した。このように実験の場所が増え,実験の回数もますにつれて放射性降下物の量や性質も段々変わつてきた。
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