特集 水道問題の展望
水道の管理を公衆衛生学的に視る
小島 三郞
1
1国立予防衛生研究所
pp.22-27
発行日 1955年5月15日
Published Date 1955/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201559
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前書き
人は水と共にあつた。水と共にある。将来も水とはなれて人間生活は成り立たないだろう。人間の歴史は,使用し得べき水源と,密接に関係して始まつた。大河池沼の畔,小川湧泉の近傍に,生活し集団し,掘鑿可能の井戸ある地帯に発展し,次であらゆる方途を求めて,水の確保出来得る範囲に殖民して来た。今日の物質文明は,相当遠方に水を求めて,運搬し得る圏内を益々拡大しつつある。私は単に水と云うが,この水たるや,良好安全且つ豊富でなければならないのは云う迄もない。
近時邦家諸地方に於ての水道の普及,誠に著しく,国民の受ける便益の程は,また大なるものがある。そして不幸なる疫禍が,残念ながら発生する。今のところ,この種の水系爆発流行は,そんなには頻繁に発生するとは云えない。実のところ私は今日迄の事故は,決して少なくはない,水系に捧げる国民の信頼感を裏切るに充分な頻度であると信ずるけれども,それは大抵は一家専用の井戸,乃至数家庭共有の"共同井戸"での災害で,頻度は大であるが,規模は小であるを常とする。統計の教えるところでは,邦家赤痢の流行の全原因の3分の1は,この"共同井戸"の汚染で説明出来る。この共同井戸の形態と管理とを,そのままに拡大したものが,即ち簡易水道なりなどと,"簡易"に定義ずけて,構築し,管理するならば,今後恐るべき集団流行の規模を大きくするに働き,水道の受益者は受難者となるだろう。
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