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スポーツと健康管理
齋藤 一男
1
1日本醫科大學
pp.200-202
発行日 1951年11月15日
Published Date 1951/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200945
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生きているものは,時に病み,遂には死す。これは人間がこの世に出てきて以來,動かすべからざる原則である。所が偶々有名なる運動選手が病んだ場合,最近では來年度の世界オリンピツク候補者の杉村孃の結核性の腦膜炎(合宿練習中の發病)スケートの内藤君の肺疾患等特に聲を大にして報道している。そして,いかにもあり得べからざることが出來上つた樣に一般は考え勝ちである。先には日本に於ける世界選手權の保持者人見孃が死んだ場合も意外のことの樣に報道されたことがあり,世間もびつくりし又おしみもした。然し自分等の醫學的常識からすれば當然だと,いかにもそつけない樣な返事をせざるを得ない。人見孃の場合は巡廻コーチをして歩いている間に風邪を引き,遂に肺炎になつた(今の樣にペニシリンもチアゾールもない時代)それでも元氣(?)に吸入器とメガホンを持つて各地を巡廻コーチをしている間に遂に立てないで死の道を選んで了つた。如何に大きな體格でも如何に丈夫な内臓でも(選手になる位のスポーツマンは一股に運動をするのには,誠に都合よき體つきになっているが,所謂病氣と云うものに對して,果して強い内臓をもつているかどうかは既にスポーツ醫學的には研究され,残念乍ら殊に練習中等は都合よく出來ていない體質となっている)醫學の教うる安静を主とする肺炎に歩き廻ったのでは自然科學の神樣は怒るであろうかくしてお氣の毒にも一般教養の不足から夭折されて了つたのだと當時報告したことがある。
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