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健康とスポーツの問題
齋藤 一男
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1日本醫科大學
pp.14-17
発行日 1950年7月15日
Published Date 1950/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200673
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自分は何時の間にか,整形外科の先生と體育の先生になつて了つた。そしてこの頃次の樣なことが非常に氣になつて來た。即ち,我々醫者の社會を見ると,何うも健康から破れているいわゆる疾病そのものを對照として日夜健闘している傾向が多い。それに對して體育の指導者は健康度を高めるために,これ又日夜苦心している樣である。そして兩者とも基本問題である「健康」に就いては,餘り關心がない樣に實質的には見えてならない。或いは空氣の絶對必要性は認めるが,それに就いて別に精しく知らなくても,まあ生きて行くのに差支えないではないかと云ふのと同じ意味に,醫者も體育指導者もこの「健康」を取り殘しているのではないかとよく考えさせられる。幸い,文部省では昨年度から今迄の「體育」の時間を「保健體育」と名稱を變え,その内容にも健康教育なるものがより多くもられて來ているが,それを指導する人が果して健康なるものなり,人間の體なりに就て十分なる教養のある人が之に當つているかと云ふ點を考えると聊か寒心せざるを得ない。確かに健康と云うテーマは興味の少いものではあるが一應檢討してみやう。即ち,從來は「病氣でない状態である」と簡單に考えた場合が多い。これは健康の問題が今でも一般の生活に於て,健康としてでなく,病氣として意識されていることを證據だてるものである。
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