醫藥隨想
戰後齒科と醫科との關係を眺めて—往時を顧みつゝ
金森 虎男
pp.185
発行日 1951年3月15日
Published Date 1951/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200809
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私が醫科を出てから,直ぐに齒科の專攻を始めたのは大正6年の1月であつた。そして大正8年6月には内務省から齒科專門標榜の許可を受けたが,爾來今日まで多年努力して來たのは醫學との連結であった心算である。戰爭當時軍醫が足らぬというので,それに便剩して,手つ取り早く醫者にするには齒科醫に限ると主張して當局を動かした。齒科軍醫の運動にも同志と共に活動した。また日本醫學會の分科會にも力を盡した。就中第11回日本醫學會(昭和17年)の時は齒科分科會長として幹旋したが,その時は殆んど全部の齒科學會(當時18あつた)が參加して呉れた事は最も嬉しい思ひ出である。
愈々戰爭が終つた。少數らしいが齒科醫師諸君のうちには,私共醫者から齒の專門をするものは,異人だといつて白眼視する人も出來たようである。殊に獨乙に留學した私のような者は,丸で敵のように見る人さえ現れて來たよらである。醫者から齒をやるものは齒科の學校へ這入つて出直して來いという譯で齒科專門標榜醫というものは罷りならぬという事にもなつか。それに對應するといふ譯でもあるまいが,齒科醫學專門學校を卒業したものは,餘裕があれば醫科の3年生に遍入させて貰えたものも,今は御免だというように成つた。先例が有るではないかといつて頼んで見ても,それは戰爭中の話だといつて何處でも取り上げない。又齒科醫は死亡診斷書を書いては成らぬといふ嚴命が出た。何だか,醫科と,齒科とは,段々離れるような氣がする。
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