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石川知福君の追憶
野邊地 慶三
pp.20
発行日 1950年7月15日
Published Date 1950/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200675
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親友石川知福君逝つて早や月餘となつた。
不幸中の幸と云ふべき事,君は最後迄君の病を不治の病と知らず,教えられるまゝに結核性腹膜炎と信じて,希望をもつて闘病に努めたのであつた。然し回復後もその健康は第一線に歸ることを許し難いと悟り,「十年違算した」と述懐したとの事である。石川君は夙に我國の勞働衞生界の最高峰に昇り,また近くは選ばれて東京大學教授となつて公衆衞生學を擔當するようになつたのであつた。今後の十年間こそは君の生涯の最盛時であつて,君はこの間に必ずや唯々勞働衞生界だけでなく,我國の公衆衞生の進運に偉大な金字塔をうち建て得たに相違ないのであつた。然るに天は君にこの十年の時を與えず長逝させたのは,君のためにまた我が學界のために眞に惜しみても餘りある事であつた。
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