論説
スポーツ障碍
水町 四郞
1
1横濱醫科大學整形外科教室
pp.198-202
発行日 1949年10月15日
Published Date 1949/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200537
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人が社會に於て生活して行くためには,健康でなくては,眞の幸福であるとは言えない。しかし,無病であると言うことは,健康の最低限度であつて,これだけでは,如何なる場合にも,生活を樂しむことにはならない。種々な不測事が起きてくるので,これに耐えられるだけの健康を保つていなくてはならない。即ち最低限の所謂基礎的健康に,鍛練によつて得た健康が加わつてこそ,初めて,眞の健康と稱し得る。この鍛練による健康を得るために,體育が必要になつてくる。しかし,人はその體質なり,或は健康度なりが,異なつている。そのため,身體を鍛練するためにも,個々の人に適した方法と量とがあるわけである。この方法に關して,果して,從來顧慮が拂われていたであろうか。身體の強弱によつて,鍛練の目的に採用されるべき方法は當然決めらるべきであるのに,或る者は何等の鍛練をも講ぜず,又他の者は過大の鍛練を行つていたのが,現況である。このことは,スポーツ選手の何名かが,年々結核によつて,たおれて行くことでも,うかがい知ることが出來る。これは興味のおもむくままに,或は勝敗のみを眼中に置いて,スポーツをやつた結果によるものである。
同樣のことが,量の方面にも言える。即ち,運動によつて,効果があげられるが,一方過度である場合には,逆に種々な障碍が起きてくる。この所謂スポーツ障碍と言うものが,果たしてあるものであるか否かは,近來多くの人によつて,研究,論議された。
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