公衆衞生の先驅者・4
長與專齋
高野 六郎
pp.332-336
発行日 1948年4月25日
Published Date 1948/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200284
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『英米視察中醫師制度の調査に際し「サニタリー」云々「ヘルス」云々の語は屡々耳聞する所にして,伯林に來てよりも「ゲズンドハイツプレーゲ」等の語は幾度となく問答の間に現はりなりしが,初の程は唯字義の儘に解し去りて少くも心を留めざりしに,深く調査の歩も進むに從ひ,單に健康保護といへる單純なる意味にあらざることに心付き,次第に疑義を加へ,漸く穿鑿するに及びて,此に國民一般の健康保護を擔當する特種の行政組織あることを發見しぬ。是れ實に其の本源を醫學に資り,理化工學氣象統計等の諸科を包容して之を政務的に運用し,人生の危害を除き,國家の福祉を全うする所以の仕組にして,流行病傅染病の豫防は勿論,貧民の救濟,土地の清潔,上下水の引用排除,市街家屋の建築方式より藥品染料飲食物の用捨取締に至るまで,凡そ人間生活の利害に繋れるものは細大となく收拾網羅して一團の行政部をなし,「サニテーツウェーゼン」「オッフェントリヘ・ヒギエーネ」など稱して國家行政の重要機關となれるものなりき。さても醫學關係の事業にして斯る大事の目前に横はれるをも心付かす,盧山に入りて盧山を見ず,米英以來半年以上夢幻の如く泛遊しうかうか看過したることの今更に悔しくもまた恥かしく,嘆息の外なかりけり。』
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