連載 講座/健康で持続的な働き甲斐のある労働へ―新しい仕組みをつくろう・18
産業医制度の歴史と課題
堀江 正知
1
1産業医科大学産業生態科学研究所産業保健管理学教室
pp.763-767
発行日 2013年9月15日
Published Date 2013/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102840
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工場法の「工場医」
わが国は,明治に産業革命を経験し,熱中症,じん肺,鉛中毒などの職業性疾病が報告され,鉱山,紡績,製鉄,造船などの事業所では附属病院が設置された.殖産興業の進展に伴って労働は過酷となり,1911年に工場法が公布されて,労働時間の制限,女性や年少者の保護,業務上傷病の補償などが規定された.1921年に倉敷労働科学研究所(現労働科学研究所)が設置されて労働生理や産業疲労などの研究が始まり,1929年に日本産業衛生協会(現日本産業衛生学会)が発足して企業の医師などが会員となった.1936年,八幡製鐵所病院(現製鉄記念八幡病院)の黒田静らがコールタールに曝された職工に肺がんが多いことを世界で初めて報告したほか,減圧症,膀胱がん,マンガン中毒,二硫化炭素中毒なども報告された.
戦時体制が進行する中で,1938年4月に工場法の省令であった工場危害予防及衛生規則が改正され,同第34条の3第2項が,常時500人以上の職工を使用する工場の工場主に「工場医」の選任を義務付けた(表1).工場医は,工場の衛生に関する事項をつかさどる者とされ,月1回の職場巡視と年1回の健康診断の実施義務が規定された.1940年に選任義務が100人以上に拡大され,衛生上有害な業務に従事する職工の健康診断は年2回に増やされた.1942年に別の省令であった工場法施行規則が改正され,健康診断の義務がすべての工場に適用され,その項目が規定され,工場主がその結果に関する医師の意見を聴取して就業上の措置(事後措置)を行う義務も規定された.このように,現行の産業医に関する法令の基本的な事項は,戦時体制の進行に伴って規定されたものである.
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