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はじめに
千葉県柏市の宮島浩二氏からリレーのバトンを受けました.
私は柏市が平成20(2008)年4月に中核市になった時から3年間,柏市保健所に千葉県から派遣されていました.宮島氏は平成21(2009)年4月の異動で保健所勤務となり,2年間一緒に楽しく仕事をさせていただきました.
平成21年は新型インフルエンザ(A/H1N1)の世界的大流行の年で,日々,目が回るような忙しさとスピード感の中での対応でしたが,宮島氏は総務企画課副参事という役職であり,様々な場面で事務方の中核的役割を発揮してくれたことがとても印象深く残っています.あのような事態の中で感染対策担当課が前線の対応を図りながら,日々変化する局面の事務的な対応までを担当するのは厳しいと感じていました.そんな中で事務系と技術系の職員が課を越えて頻繁に情報交換をしながら,各々の役割を自覚して,スムーズに連携できたのではないかと思っています.
私は病院勤務を経て,昭和58(1983)年に千葉県の保健所保健婦として採用され,平成23(2011)年に現所属に異動になるまで保健所に勤務していました.
私が就職した当時の千葉県の保健所は,保健婦・栄養士・統計担当が1つの課に所属していました.業務としては母子や難病対策の主管課でした.精神保健や結核は患者支援が主でした.保健所の組織改革によって事業担当制となり,平成14(2002)年の異動で野田保健所勤務になった年に初めて,結核の担当になりました.保健師3人で難病・HIV/AIDS・結核・感染症・精神保健を分担しており,1人担当制という状況でした.そのような中で同年4月に,「市内の従業員宿舎から結核の患者が出ているが,事業所は接触者健診(当時は定期外健診)を拒否している」と前任者から言われ,不安になりながら引き継いだ「忘れられない結核事案」について,今回書いていこうと思います.
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