連載 世界の公衆衛生に貢献した日本人先駆者たち―次世代へのメッセージ・7
国際緊急援助と私(上)
喜多 悦子
1
1日本赤十字九州国際看護大学国際保健医療学
pp.791-794
発行日 2003年10月1日
Published Date 2003/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101017
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宝塚で生まれて
皆さん,こんばんは.この暑い中,夕方2時間も勉強しようという皆さんの熱意に私は感動します.今日はこれまでの自分の歩みを振り返ってみるにはとても良い機会だと思って,まとめてみました.私は初めは小児科医をやっていましたが,わりあい早い時期から,難民や紛争などにもかかわってきました.
生まれは兵庫県の宝塚,小浜村という村です.軍国主義のため,「産めよ,増やせよ」と言われていた時代,1939年に生まれました.実は私を妊娠中,母は肋膜炎にかかりました.そして医師に「母体がもたないから中絶しろ」と言われたそうです.今の途上国の紛争と同じで,「お国のために男の子が生まれるかもしれない,だから堕ろしちゃいけない」,そんなことなどがあって,私は生まれることができました.「あなたは生まれる前に棺桶が用意されていたのよ,だから滅多なことでは死なない,とても強い運をもっている」と,母方の祖母からよく言われたものです.
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