連載 水俣病から学ぶ・3
保健所はどう動いたか
土井 陸雄
1
1横浜市立大学医学部衛生学
pp.221-225
発行日 2003年3月1日
Published Date 2003/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100832
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保健所法(昭22年9月5日)第一条に,「保健所は,地方における公衆衛生の向上及び増進を図るため,都道府県又は政令で定める市が,これを設置する」とあり,第二条は,保健所が「指導及びこれに必要な事業を行う」事項として,「1. 衛生思想の普及及び向上,3. 栄養の改善及び飲食物の衛生,4. 住宅,水道,下水道,汚物掃除その他の環境の衛生,7. 母性及び乳幼児の衛生,9. 衛生上の試験及び検査,10. 結核,性病,伝染病その他の疾病の予防,11. その他地方における公衆衛生の向上及び増進」(一部略)を挙げている14).保健所法は平成6年に改正されて地域保健法第三章に組み込まれ,事業として医事および薬事,精神保健,エイズなどが加わった.さらに「企画,調整,指導及びこれらに必要な事業を行う」と,事業の「企画,調整」は,地域の自治に大きく委ねられることになった15).
しかし,水俣病が社会に登場した昭和31年当時,保健所の基本的な役割分担は,「衛生思想の普及及び向上」を「指導及びこれに必要な事業」の第一に掲げているように,「地域住民の健康を守り,増進する」ことが大きかったと考えてよいであろう.
では,水俣病事件において,保健所はどのような事業を行い,「地域住民の健康を守り,増進する」ためにどのように貢献した,あるいはしなかったのだろうか?
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