連載 書評家・スケザネがたどる、中井久夫はこんなときどう言ったか・4
中井久夫とヴァレリーは身体をどのように捉えたのか
渡辺 祐真
pp.78-84
発行日 2026年1月15日
Published Date 2026/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.134327610290010078
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おさらい
中井久夫の文学者としての側面に光を当てる本連載。これまでの2回で下地を整えてきたので、いよいよ中井がこよなく愛し、翻訳まで行ったフランスの詩人ポール・ヴァレリーについて話を始めます。
まず復習です。中井は文章を建築と同一視しており、それがヴァレリーの建築観とかなり近しいこと。中井が生涯の内に詩の翻訳に専心していたのは1984年から1995年で、しかもその間には清明寮の建築(設計)を行っており、これは中井本人が「(詩的な回路が躍動する)うたう状態」にあった時期と重なっていること。中井は、感情が心の内側にある状態を「踏みとどまり」、それが言葉や感情、行動などの形状を取って外部に出現する状態を「踏み越え」と呼んでおり、前者をいかに捕まえるかが重要だと考えていたこと。

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