連載 書評家・スケザネがたどる、中井久夫はこんなときどう言ったか・2
なぜ中井久夫は「文章を書くこと」と「建物を建てること」を同一視したのか?—中井久夫とポール・ヴァレリー その1
渡辺 祐真
pp.418-424
発行日 2025年9月15日
Published Date 2025/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.134327610280050418
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
中井久夫の文章観—文章=建築
精神科医・中井久夫の文学者としての側面に光を当てる本連載、第二回は中井の文章論について見てみましょう。中井は『私の日本語雑記』(以下、『日本語雑記』)や『精神科医がものを書くとき』といった文章論を、多数ものしています。
それらに一貫しているのは、中井が文章を建築として捉えていたことです。『日本語雑記』には「全体として一つの建築のように組み立てる」「翻訳とは、まず、平行対応と交差対応とを柔軟に駆使して一つの新しい建築(アーキテクチャー)を作ることである」という趣旨が書かれていますし、「日本語の対話性」では「「思想(イデア)」をつかみだし、明確な個別言語の衣を着せ、文脈に相応しつつ、文章という一次元上に建築(後略)」と述べています。『執筆過程の生理学』では、書き手と出来上がった文章を「建築家」と「建物」にそれぞれ喩えています。以上のように、翻訳や日本語作文と、形式が異なるのにもかかわらず、最終的なゴールをいずれも建築と表現しているのがわかります。つまり手順や形式によらず、中井は文章を建築として考えていたのです。その意図するところを詳しく見ていきましょう。

Copyright © 2025, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.