連載 書評家・スケザネがたどる、中井久夫はこんなときどう言ったか・3
なぜ中井久夫は、戦争と平和を対義語として捉えなかったのか?—踏み越えと踏みとどまり
渡辺 祐真
pp.514-521
発行日 2025年11月15日
Published Date 2025/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.134327610280060514
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言葉にならない「雲」のようなもの
精神科医・中井久夫の文学者としての側面に光を当てる本連載、前回はフランスの詩人ポール・ヴァレリーを扱いました。ヴァレリーの詩をいかに中井が読み、翻訳したのかという本丸に入る前に、二人をつなぐ重要なキーワードを一つ検討しておきたいと思います。それが「踏み越え」と「踏みとどまり」です。
第一回で述べた「言葉にできないモヤモヤしたもの」に関連する内容なので、再確認から始めましょう。中井は、何かを言葉で表現することには大きな限界があると考えていました。中井が、患者との面談の症例報告に対して苦手意識を持っていると述べていることからも、それは明らかです。その理由を次のように記します。

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