書論
ケアが迂遠であること
向坂 くじら
1
1国語教室ことぱ舎
pp.314-315
発行日 2025年7月15日
Published Date 2025/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.134327610280040314
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1 増補版までの5年間
本書は、2020年2月に刊行された同タイトルの書籍に補遺と索引を加えた増補版である。本書が論じるのは、「対話や承認それ自体がケアになるという可能性」だ。そのために、医療やヘルスケアの現場で行われてきた「ナラティブ・アプローチ」(個人によって語られる物語=ナラティブを用いたさまざまなケア実践)を、解釈・調停・介入の三つに分類しながら幅広く検討する。そのためにまず、文学や言語学の物語論、哲学の存在論を経由し、「ナラティブとは何か」を考える。そして、それが本書の「骨」であると語る。その頑強さにうっとりと引きこまれる。
筆者も刊行当初に本書を手に取り、刺激を受けたひとりだ。特に終章にある「私たちは〈いずれ死んでしまう存在〉どうしであるがゆえに、適切な聞き手になれる」という洞察には目を開かされ、筆者の専門分野である教育や文芸について考えるときにも要所でそれと引き比べてきた、手放しがたい一冊である。
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