連載 新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承—「何を、誰が、どう残すか」を考える・1【新連載】
COVID-19のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の行方
飯島 渉
1,2
1長崎大学熱帯医学研究所・附属熱帯医学ミュージアム
2長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科
pp.67-70
発行日 2025年1月15日
Published Date 2025/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.036851870890010067
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はじめに——連載に当たって
2020年に始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックからおよそ5年が経過した。COVID-19がなくなったわけではないので、ウイルスとの「共存」「共生」の時代(With COVID-19)を生きている。ところが、「喉元過ぎれば……」という言葉の通りに、私たちはパンデミックの中でどんなことが起こり、何に悩み、それでもどんな楽しみを見いだしながら暮らしていたのかを思い出すことが難しくなっている。
コロナ後の世界と言へど三・四年経てば忘れてしまふよみんな
(大崎瀬都)
という歌が2020年に詠まれていたのだが1、まさにその通りになりつつある。
COVID-19の忘却は、それを思い出したくないというバイアスが働いているからでもある。私たちは忘却を重ねる中でしか、未来に向かって歩んでいけないのかもしれない。しかし、全てを忘却してよいかと問われれば、それは否であろう。COVID-19の忘却は、将来起こり得る新興感染症への対策を成熟したものとするための知見を放棄することにつながるからである。
本連載は、日々、廃棄と忘却が進みつつある現状の中で、COVID-19のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の「何を、誰が、どう残すか」を考える試みである。
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