Japanese
English
--------------------
「病院デー」の制定について—吉田醫官に答えて
俣野 章一
1
1天王寺病院
pp.38
発行日 1951年12月1日
Published Date 1951/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200414
- 有料閲覧
PPV購入案内
1,320円 (1,200円+税10%) こちらは、38ページから38ページの文献です。
PPV(ペイ・パー・ビュー)とは、論文(記事)単位で購入・閲覧ができるサービスです。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
- Abstract 文献概要
東京で厚生省吉田醫官から「病院デー」制定に際して聖徳太子の施藥療病院の開設された月日につき質問を受けました。私も聖徳太子傳統の病院に院長となり,しかも本年は丁度施藥療病院(現在天王寺病院)の再建20周年と,聖徳太子1330年の御遠忌に當りますので,出口四天王寺管長殿の御指導で多少調べて見ました事を記して見ましよう。
さて四天王寺は用明天皇の2年大臣蘇我馬子が大連物部守屋を征するに當り,時に14歳であられた聖徳太子が四天王を祭り「今もし我に勝利を御させ給わば,四天王の御爲に寺塔を起し奉らん」。と御誓願され,戰勝後誓言通り四天王寺を建てられ(日本書記)太子傳歴には四天王寺は用明天皇2年に難波玉造に建立,推古天皇元年に改めて今の荒陵に遷されました。これでとにかく四天王寺の創立は明らかになります。併し四ヶ院の記録としては,平安朝一條天皇の寛弘4年8月1日金堂で發見された御手印縁起による外ありません。御手印縁起によりますと,四天王寺は單に佛像安置や民衆禮拜のための霊場のみでなく,廣く社會救濟の設備を具えた四ヶ院から出來ておりました。
Copyright © 1951, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.

