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学会印象記
第9回汎太平洋外科学会—移動学会—耳鼻咽喉科部門と関東地方会合同学会の印象記
9th P. P. S. A.-Educational Seminar (Oto-rhino-laryngology). XII. 6. 1963. Tokyo
大藤 敏三
1
1関東地方会
pp.477-480
発行日 1964年5月20日
Published Date 1964/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492203268
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- 1ページ目 Look Inside
米ソの複雑怪奇なる対立はジョン・ケネディのニュウ・フロンティア精神の絶え間なき努力によつて歩みより漸く世界の空気は,明るい希望をほのめかしつつあつた1963年,事もあろうに,11月22日,午後12時半,テキサス,ダラスの真昼時,燦々とかがやく太陽の下で,2発の銃弾は此の若きケネディ大統領の頭蓋骨を打貫いて其の命を奪つて了つた。「あつ」という瞬間の出来事であつた。全く通り魔の様な黒い影であつた。ダラスの街頭を走つた無蓋の自動車は47才の米国大統領の血潮で紅に染められた。此の報道は世界の全ゆる階級層の人達の胸間をゆさぶる大事件であつた。―新聞やテレビでその日常生活に親みを覚えていた私共のおどろきもはげしかつた―報道は次々と来てニュースをにぎわしたが淋しいことであつた。
汎太平洋外科学会がホノルルに開かれたのは11月初めで此の事件より以前のことである。アメリカの会員達も旅の空で之を知り心に怒りと不安を感じた事であろう。スケジュールに従つて約二百人の会員が第二学会場としての東京に到着したのが12月5日の夜も更けた11時,直ちに宿舎の帝国ホテルに投宿,翌日は午前8時から学会の登録が行われて9時半には夫々の会場へ行かなければならなかつたのである。

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