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Ⅰ 精神科医になった
まだインターン制度が有り,その存亡の嵐が吹き荒れていた時,私は生活費を稼ぐために某精神病院の当直を引き受けました。学生時代にわずか2週間の精神科実習をしただけなのに,それ程考えることもなく夕方,病院に着いたのですが,夜8時に当直看護婦が「夜間巡視をお願いいたします。」ということで病棟に行きました。鉄製の施錠されたドアを開き,中に一歩足を入れると薄暗い豆電燈のあかりだけの廊下。その両側に15〜6畳程度の和室が並び,一部屋に8〜9人分の布団が敷かれていました。壁にもたれている人,布団の中から目ばかり出して私をギョロ,ギョロと凝視する人,ニヤニヤ笑いながら全く私達(私と当直看護婦の2人だけ)を無視して歩いている人,……その異様な雰囲気に思わず足がすくんでしまったのを今でも憶えています。
その病院には患者さんのために舞台つきの大広間が併設されていましたが,夜になるとその大広間にまで布団がひかれ,患者さん達を寝かせていました。夜間の巡視の際に「なぜ?」といった疑問が常に私を悩ませるようになりました。また,日中,患者さんが遊べるように中庭がありましたが,350名余の入院患者さんの半数程度がラジオ体操できるものであり,ほとんど「動的」な活動をさせる余裕のない病院でした。町の中にある病院とは言え,唯入れておくだけの施設であった,と言っていいでしょう。「同じ人間として,生を受けてきたのに!」と考えている内に,なんとなく福島県立医科大学精神科学教室に入りました。勿論,親から反対されました。その頃の精神科の入局者は毎年1〜2名程度であり,人気がなく変り者(?)が多かったようです。入局後,数ケ所の精神病院にアルバイトに行きましたが(無給副手の身分だったので外に出て働かないと生活ができませんでした)どこも似たりよったりの病院でした。極端に表現すれば「事故のないように,いかに管理するか!」といった感じでした。
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