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ファーという悲鳴にも似た警告発声で,今日もまた残念なラウンドが始まってしまった.隣のホールのプレイヤーに危険を知らせる,このなんとも切ない響きは,18ホールという長いラウンドのただの最初の1球にしか過ぎないのに,すでに今日1日を運命づけてしまうかのごとく,私を奈落の底へと突き落とす.しかし,ベテランのキャディさんになると,このファーの響きは決して非難めいたものでなく,逆にうっとりするような,何か違うかもしれないが大丈夫ですよ,とでも言いたげな,青空にこだまする美しい歌声にさえ感じる.そして,セーフですからと一緒に隣のホールにボールを探しにいくときには,すでに歓びに似た感情さえ湧き上がっている.まあ,そもそもこのホール,両側OBないし……名物の6番ホール.2打目は谷越えの30ヤード以上ある打ち上げ.緊張のティーショット.狙った190ヤードにピタリ.いやー,すごい10年会員さんでもあそこに打てませんよ,というキャディさんの言葉に天にも昇る心地.問題の第2打.しまった力んだか,あえなく右へ抜けてバンカーへ.ここは乗せないとダメじゃないですか! というキャディさんの叱責に,なぜか湧き上がる喜びの感情.まだ初心者の域を出ないのに,普通のゴルファーとして扱われたという喜びか,いやそうではなくて,自分は実はMだったのか,新しい自分を発見したのか.18ホールを喜びと悲しみ,悔しさと希望,そして優越感と劣等感という感情の波間を漂いながら,最終ホールを終えたカートの中で,なんでかなー,もうやめようかなー,とか思いながら休日を終える.この揺れ動く感情の波は,そもそも何なのか.わざわざこんな思いをするために,貴重な休日を費やしているのか.この感情はどこからやってくるのか…….そうかこれはまさに自我の表れか.どんな球を打っても泰然としてプレーを続けることができれば,まったく違ったゴルフ…….ということは,何があっても泰然と過ごすことができれば,幸せな人生を送ることができる.つまり,自我を捨て去ることこそが人生の課題なのだろうか…….これはすなわち未熟ということかと帰路に着く.あっ,ゴルフバッグを忘れている.
15年間にわたり大学で研究者生活を送った.スパインの責任者としていかなる研究課題に取り組むべきかと悩んだ.変性疾患は,怒涛のごとく流れ込んでくる新規医療材料に次々と取り組んでいかれる整形外科の先生方に敵うはずもなく,脳腫瘍同様脊髄悪性腫瘍には解決の糸口さえみつからず,そんなとき,たまたまリスボンで実施されていた自家嗅粘膜移植を目にした.中心的研究者であったリスボン大学出身の神経病理学者カルロス・リマは,脳神経外科耳鼻科麻酔科からなるチームを率いて,脳神経外科ではあまりにも有名なエガス・モニス病院で精力的に臨床研究を実施していた.よし,とにかく見に行こう.私は1カ月ほどの滞在予定で渡欧した.ここから,彼らと長い月日をともに過ごすことになるのだった.ヒースロー空港でトランジットして,リスボン空港に1人降り立った.2002年の秋だった.リスボンに降りる飛行機が結構揺れて,無事着陸したときには機内では歓声と拍手喝采が湧き上がった.うわー,助かったみたいや,しかしラテンやなー,と驚いた.
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