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◆辞書編纂をテーマにしたベストセラー小説が映画化されました。編集者たる者,小説を読むか映画は見ているだろうと思われがちですが,どちらもしておりません。ところが先日,知人の編集者から,この映画のあるシーンについて以下のようなコメントをもらいました。
「主題となっている辞書の編集作業を進めていて,3校目か4校目に見出し語が1語,落ちていることが発覚し,全見出し語を最初からチェックするシーンがありました。この場面は,この作品の肝かもしれませんが,私なら見直しなどやりません。辞書編纂のために集めた100万語超から,収載語として25万語を選んだわけですから,収載から漏れた75万語と校正ミスで落ちたかもしれない1語にどれだけの差があるのでしょう?」
私も同感。その場面に私がいたら,25万語の見直しは現実的ではないと「諦める」でしょう。
◆映画は見ていないし,辞書の編集に携わったこともないので,この例は脇に置きます。ただ,“ミリの精度にこだわるモノ作り”などに代表される,ストイックに完璧を目指す職人的な姿勢がよしとされる風潮が強いように感じます。
また,金メダル獲得など,何か目覚ましい成果を挙げたとき,晴れ晴れしい笑顔とともに「子どもの頃の夢が叶いました。諦めなくてよかったです」という文脈が語られます。そして,受け取る側は「夢を諦めなかった」ことを讃えます。夢を叶えた人が子どもに向かって「夢を諦めるな」というメッセージを発信している様子を見ることもあります。
なので「諦める」と言うと,なんともいえない敗北感,ネガティブな印象が漂います。でも,あるタイミングで何かを諦めることは,物事を進めて行くうえで,とても大切なことです。
◆完璧がこの世に存在しないのは,“絶対安全”が存在しないのと同様です。完璧は“目指す”ものではあっても,到達できるものではありません。完璧を目標にした時点で,いつかは諦めなければなりません。諦めたくないけど,諦めざるを得ない…そんなときに自分を納得させられるかは,「精一杯やった」かどうかです。
毎月のLiSA制作にも,企画検討から執筆依頼,編集や校正作業など,多くの工程があります。それぞれのステップが完璧になれば,それに越したことはありません。でも,そこは諦めて進めます。でないと,雑誌も本もできあがりません。
諦めを積み重ねて作っているので,どれも“完璧な1冊”ではないでしょう(申し訳ありません)。ですから,さまざまな指摘を受けることはあります。けれど,「限られた時間の中で精一杯やった結果」と思えれば,受けた指摘は,後悔や自責の念に苛まれることなく,次への糧とすることができます。
◆毎日が「諦める」ことの連続だからでしょうか,メダルに手が届かなかった選手が「自分の精一杯を出した結果なので,今は満足しています」というコメントのほうが勇気づけられます。
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