連載 知識をいかに体系化するか
情報の入力:情報の選別と受け入れの容量
諏訪 邦夫
1
1帝京短期大学
pp.588-589
発行日 2010年6月1日
Published Date 2010/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.3101100959
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先日,音楽好きの友人を交えたグループでの会話で,現代音楽はなぜ面白くないかという話題が出ました。彼も私もクラシック音楽好きですが,現代音楽にあまり興味を持たず,一方で演奏家はその面白くない現代音楽をなぜ演奏したがり,音楽評論家もそれを支持するのか,聴衆はそうした演奏家や音楽評論家の意図につきあう必要があるか,というのが議論のスタートです。
二人の結論は,演奏家や音楽評論家はプロで大量の情報を持っているからいろいろ演奏したりコメントしたいのに対して,聴衆はアマで情報が少なく手持ちの情報に固執し聴く機会も限定されて,楽しくない現代音楽を聴くくらいならむしろポピュラー音楽や演歌のほうが把握しやすいというものでした。そちらは,なじみのクラシック音楽の論理で作られているからです。そのへんで,音楽趣味のない人も議論に加わって「情報の選別」の議論になりました。どうあるべきか,ではなくて現実にどうあるか,その理由やメカニズムの分析です。
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