巻頭言
苦言
小山 良修
1
1東京女子医大薬理学教室
pp.297
発行日 1958年10月15日
Published Date 1958/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906034
- 有料閲覧
- 文献概要
重箱の右の隅をほじつた外人(他人といつた方が穏当であろうが)の仕事に対し左の隅をいじつてホコリが少し多いの少ないのといつて,その外人と同じ水準の学者になつたような顔をする。そもそもその重箱はその外入が見つけたのではなかつたか。
学会などでも電気や化学の知識は深く又,興味もあるらしいが,こと動物の事になると純系(こんな言葉は実験動物にはおかしいのであるが)ならどんな飼育管理でもよい,生きていればいいだろう位の軽視の仕方が多い。こんな風潮は微により大の全体を知るためであろうが,学会の演題でも電気や化学のテクニックものになると聴衆も多くなり(そうしたテクニックの研究会でない会合においてのことであるが),さて討論となると,例えば,その所で幾%,幾mgをどうしたか,ということであつて聴衆全体にとつてよりも個人的に話合つてもよさそうなことをやり出す。更におかしいのは何何氏法の変法とか改良法をやつたといとも軽くいうものがある。何何氏がその方法にゆきつくまでにはずいぶん苦労したのであろうと思われるのにあつさり変法する。そうならば,それだけの理由をのべてほしい。まして改"良"法にいたつてはなお更のことである。序ながら何何をやりましたかと質問する人があるが,演者はやつていないからいわぬのであるから演者の渋い顔になる時は気の毒である。
Copyright © 1958, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.