卷頭
科學と藝術
宮本 璋
pp.193
発行日 1953年4月15日
Published Date 1953/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905704
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先日或る彫刻家のところで偶然評論家なども混えて雑談の花を咲かせた事があつた。その時私は科學と云うものの本質であるとか又は研究の態度と云うのを話し,彫刻家は又美術についてそれと同じような話題を話して,結局二人ともたとえそれぞれの立場はちがうにしても,物の見方と云うか,テーマの扱い方と云うものは,それを扱う人の個性個性によつて,大きい自然の現象のなかから,どの角度で,どう云う部分を,どんな解釋で切りとるかにあるのだと云ふ點で,意見が極めてよく一致し快適なストーブの暖かみや主人のまことに好意あるもてなしと相俟つて,近來にないうれしい早春の宵を過した上,同席した評論家などからも大變いい話だつたと喜ばれて一層氣をよくもした。
私は兼ねて自然現象に對して,その最も確からしい,そして最も可能的な因果をとり扱うのが自然科學の對象であり,勿論人間社會の現象を含めて,又自然現象のうちで甚だ稀で,そのときたゞの一回しか起らなかつたある事柄を描写するのが藝術だと思つているものではあるが,それにつけてもいつも不思議に思うのは,どうして藝術の場合には作者の個性の問題があれ程喧ましく云われるのに,研究者の場合にその人の個性があまり目だたないでも,いつもそのまゝ放任されているのかと云う點である。
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