展望
「自然免疫」概念の再檢討(2)
川喜田 愛郞
1
1千葉大學醫學部細菌學教室
pp.242-248
発行日 1951年6月15日
Published Date 1951/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905585
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(2)
一體,natürlichに罹りにくいという事實を自然免疫と名づけるもともとの約束であつてみれば,上に列擧したことのどれを論じてはならないという制限があるわけのものではもちろんない。だが,自然免疫論に科擧的な意味をもたせようというのなら,問題をもう少し限定しないかぎり,筋も通らず能率もよくないことは誰の眼にも明らかであろう。そのつもりでいま上に設定されたいくつかの問題を少し立ち入つて吟味してみたい。
まず文句なしにわれわれの話から除外されなければならないものとして獲得免疫の要素がある。自然免疫論議から獲得免疫を除去せよというような,わかりきつたと言うよりは馬鹿げてもきこえる發言をわたくしがここに敢えてするのは,元來清濁併せ呑む傾向の強い自然免疫論の對象の中に,實は獲得免疫の法則に照して説明さるべきものが,しばしば,それと知らずにまぎれこんでいるからである。例えば,さきに擧げた「ジフテリアは何故子供の病氣であるか」というのがわかりやすい一つの例である。くどく述べるまでもなく,それは不顯性感染に基ずいて獲得された血清中の特異的な抗毒素の作用として一應きれいに説明される。自然免疫論において慣習的に年齡の條下で示される現象の中には實は獲得免疫の現象にほかならない場合が少なからず含まれている。
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