交見 「生理学者は生化学者に何をのぞむか」/「生化学者は生理学者に何をのぞむか」
生理学の協力を,他
丸山 工作
pp.94-97
発行日 1966年4月15日
Published Date 1966/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905415
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「生化学者は生理学者に何をのぞむか」このような題でなにかかけとのおすすめをいただきましたが,こまつたことに,わたくしは,"生化学者"ではありませんので,ほんとうはその資格をもちあわせてないわけです。けれども,いまのように,とりどりの分野の出身者が生物学のいろいろな面から研究をおこなつているときに,あまり規格をはめるようなレッテルをつける方がおかしいのではないでしようか。とすれば,"生化学的手法"をおもにつかつている研究者のひとりが,いわゆる"生理学的手法"をつかつておられる研究者の方々への希望といつたものをのべてみたいとおもいます。
わたくしの認識がかたよつているとおもいますが,"生理学"関係の方々は,ひとつには,電気刺激であるとか,機械的な力を測定するとかの装置のくみたてと,微細で微妙な手技によろこびとほこりをつよくもつておられ,他方では,細胞とか組織とか"手つかず"の生きた状態というものに執着されているようにみえます。いずれもすぐれた点にはちがいありませんが,あまりつよすぎますと,名人芸的な気持であるとか,生きていることの神秘性に安住を感ずることにおちいつてしまうおそれがあるでしよう。
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