巻頭言
科学と宗教
水原 舜爾
1
1岡山大学
pp.1
発行日 1973年2月15日
Published Date 1973/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902944
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現代は科学文明の時代であり,宗教など顧りみる人は非常に少ないように思われます。また,とくに科学者が宗教などに興味を示すこと自体が,一般の人々からさえも,奇妙な現象のように思われ勝ちですが,とにかく私の宗教観といつたものを少し書いてみましよう。
人類がこの地球上に発生したのは約50〜100万年前と考えられていますが,以来人類は荒々しい大自然を前にして,その種族保存のためにいろいろな工夫をしてきたと思います。そして物質面での「生活の不安」を解消するために,いろいろな道具を開発し,ついに近代になつて,すぐれた科学文明を生みましたが,また一方では精神面でのいわゆる「心の安らい」を追求した結果,種々の原始宗教を生んだと考えられます。この近代科学文明の急激なる発展の基礎を築いたのは「デカルト」の二元論でありますが,彼はあらゆるものを疑つた結果,ふと「疑つているもの自体」の存在はもはや疑えないことに気づき,あの有名な"Cogito ergo sum"という言葉を残しました。しかし彼の二元論は結果的には科学文明の方向に開花し,この「疑うもの自体」の文化の方向にはあまり進展したとは思えません。しかし,この「疑うもの自体」の存在に気づいたことには大きい意義があつたと思います。科学は人間によつて見られた世界,実験によつて経験された世界の話でありますが,この「見るもの自体」「経験するもの自体」は一体なんでしようか。
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